図案から

数多の伝統工芸尾において、現代に脈々と受け継がれている染織の世界では、
その染上がりにかけて数々の名工たちが知らず知らずと携わることで長い
伝統を支えています。





昨年から始まった図案構成もいよいよ最終段階ということで、
いつもながら出来上がりの具合を頭に浮かべながらその染め上がりを
ゆっくりと待つことに。



取引のある問屋やメーカーでさえ「今時そんな面倒なことしなくても大きな
新作発表に行ったら、気に入るものは何ぼでもあるんじゃないですか」なんて
嫌味を言われても、そこは曲げる訳にはいかないのです。



毎度のこと製作をする訳ではありませんが、年間数点でも製作依頼を
しなければ、他の出来上がっている品々に対して「粗」ばかり探してしまう
意地の悪い自分がいるのです。


以前は「他店に無いものを」とか「差別化するために」などを念頭に
もの創りにあたっていましたが、どんなに自分で納得した出来上がりでも
売れないものは売れません。





気候や風習、必要とされるものを製作することで、その製作側からも
「ああ、ここではこんな色やこんな柄付けが好まれるんだな」と思い
思われるようにと続けています。


私はきもの専門店のいち販売者であり、自分で図案を描きもしませんし
当然のごとく染織もしません。
仕入れをするにあたって、今度はこんなものが欲しいの延長がオリジナル
の製作であり、出来上がったそれぞれの品には「オリジナル品」とか
「創作品」などのロゴやシールをあえて貼るようなことはしていません。



最近こちらが言わなくてもお客様から「ああこれ宮川君が創ったのね?」
など言われるのですが、そこから「じゃあ誂えなくちゃね」と返して
もらうように好みの品にしていかなくては。






図案にまつわる徳田義三氏のお話を少し。



氏は大正末期に糸染めの技術や織り組織の研究を重ねながら西陣
織屋をわたり歩いて、数多くの図案や織り組織の指示書を残しています。


それまでは古典模様の踏襲・模倣といった枠に囚われがちであった
西陣織の世界に、独自の美意識に基づいた多くの秀作を送り出し、
現在でも、丹波屋・帯屋捨松・しょうざんといった織屋をはじめ、
西陣や室町に図案が残されています。


名前を表に出すことを嫌われ、無形文化財保持者や“現代の名工”などの
肩書きとは無縁の方でした。


徳田義三氏は、伝統を頑なに守り続けることで作家が個性を発揮できず、
時代のニーズとのズレを生みつつあった西陣織の世界に独自の作風で一石を
投じ、西陣のメーカーがこぞって「図案や組織図を描いて欲しい」と
頭を下げて来たような人。


自分の満足する帯を作れないメーカーの注文は、いくら金を積まれても
断ったという伝説の人物。     ※「徳田義三作品集」京都書院




現代に受け継がれる図案が持つ伝統の世界が存在しているのです。




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