辻が花

「辻が花」は、室町時代中期から江戸時代初期までの間に制作された、絞り染め
の着物の呼び名です。


当時は麻生地に簡素な模様を絞り、模様が白く染め残るという一色の着物でした
が、その後に絞りの上からさらに染めを繰り返すという多色染めとなり、複雑な
模様を表すようになりました。


やがて麻の他に、絹の生地も染めるようになり、模様が細やかに見えるように、

花びら一枚一枚、花芯や
葉脈の一本一本を細い筆
で墨描きし、墨ぼかしを
加え、絞りの大らかな染
めの中に繊細な表現が施
されるようになり、
「辻が花」はさらに奥行
きのある染め物へと発展
していきました。


桃山時代になると、金箔や刺繍が加わり、豪華な小袖として姿を整えました。
それまでは女性や若衆の小袖として染められていた「辻が花」は、成人男性の
小袖として着用されるようになり、武将達が鎧の上から着る胴服にも「辻が花」
の手法が使われるようになりました。



徳川家康着用の小袖や羽
織には、多くの辻が花が
含まれ、現在も徳川美術
館等で観ることができま
す。

江戸時代の「辻が花」は
桃山時代盛期のものに比
べ模様が大きく、色数も
少なくなっています。


やがて、徳川家康が亡くなった頃から「辻が花」は染物の表舞台から急速に去って
いき、現代までその技法を継承することはなくなり、故に幻の染といわれるように
なってしまいました。


日本工芸作家、小倉淳史は古い「辻が花」の復元をすると同時に、現代の生地を使
い、現代人の為の「辻が花」も制作しています。


400年前と比べると、着物の着方や寸法、体形もかわりましたが、古い「辻が花」
の技術を基本として本格的な「辻が花」を作り続け、現在も重要文化財の辻が花
小袖の復元に活躍しています。


よく久保田一竹氏の制作した「一竹辻が花」と比較にされることが多々あります
が、私は全く比べるものではない、同じ土俵に上げることが出来ないものと考え
ています。(これは私の全くの私的な考えですが)復元を元に技法を守りながら
創る「辻が花」と、基礎となる技法の所以はあってもそれを独自の技術で創作進
化していく「辻が花」は一見同じ匂いがあっても、それはまた別物ではないで
しょうか。














当店のウインドウには、小倉淳史作の辻が花訪問着を陳列しておりますので、
お近くまでいらした際は是非ご覧になって下さい。




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